わたしが30年近く前に観て以来大好きな映画の1つが、アンドレイ・タルコフスキー監督の傑作「鏡」です。
タルコフスキー監督は旧ソ連で生まれ、活躍した後、晩年、ソ連から出国して亡命を宣言しました。
寡作ですが、いずれも芸術性が高く、非常に優れています。
タルコフスキーが亡くなって5年ほどした頃に初めて観た
文芸座地下で、同じくタルコフスキーの作品「ストーカー」との2本立てでした。
なぜ足を運んだかというと、その頃読んだ夏目漱石の遺作「明暗」の文庫版の解説で大江健三郎がタルコフスキー作品の水の使い方に言及していたからでした。
そういう映画ならば観てみたいと思ったのです。
実際に観てみたら、とても難解だった
その証拠と言っては何ですが、わたしの前に腰かけていた方は居眠りしていました。
それでも観終えた後、何か心に残るものがあったため、いずれもう1度観てみたいと思いました。
それから6年ほどしてVHSで「鏡」を買って、観直してみました。
もう少しこの作品を理解したかったのです。
そのときには最初のときと異なり、何となくその作品の意味がわかるように感じました。
自伝的で、映像詩のようで、とても美しい作品
[moveline color=”#afeeee” sec=”5″ thick=”40″ away=”2″]とりわけ、[move]火と水の使い方が見事[/move]で、上映時間はかなり長い作品なのですが、何度見ても飽きがきません。[/moveline]
筋はわかり難く、あまりこれというほどのものはないように思います。
それでも心に残るシーンがいくつかあり、とりわけ女性が泣くところが印象的です。
その女性はタルコフスキー自身を思わせる主人公の母親で、西側の普通の映画ではこういうシーンはあまりないと思います。
とても残念なことですね。
映画に限らず文学も、現代人がせっかちになのを反映して、じっくり人間心理や情景を描写することがなくなってしまいました。
タルコフスキーの映画は、決して冗長ではない
タルコフスキー作品は「ローラーとバイオリン」以外はいずれもかなり長い作品。
そのために冗長と言われることも多いのですが、それは耐えるべき長さであって、決して冗長ではないと思います。
せっかちな方には向かない作品だとは思いますが、ぜひ、時にはゆっくり人間について思考したり、自然の美しさに浸ったりしてみてください。
「鏡」はロシアの美しい自然が見事に描かれている
ロシアは自然豊かな土地なので、タルコフスキーもそういうなかで育ったようです。
また、『鏡』には馬が出てきますが、そのシーンもとても美しいです。
火を使ったシーンも宗教的で、荘厳な雰囲気があります。
その美は古今の映画史上、最高のものと言ってもよいでしょう。
我々は普段、雨や水たまりなどを何気なく眺めていますが、タルコフスキーの映画のなかでそれを見ると、こんなに深い意味を持ったものだったのか、と驚きます。
特に雨の降る音は、何か運命のノックのようです。
即ち、運命がドアをノックするような感じがするのです。
そして全てを洗い流すものの象徴ともいえます。
社会主義体勢だったからこそ誕生した作品
さらに、「鏡」の主人公の少年はスターリン時代を生きていたと考えられるため、その体制への秘かな批判も込められていたのではないかと思います。
映画の色調自体がとても暗いのも、そのためではないでしょうか?
タルコフスキーは、ソ連当局からの検閲にかなり怒っていたらしく、それが亡命の理由だったようです。
また、彼は日本とのつながりも深く、「鏡」のチラシに、黒澤明がタルコフスキーを高く評価しているという話が載っていました。
タルコフスキーの傑作「惑星ソラリス」には来日当時に撮影した首都高からの映像があり、初めてTVで観た際に吃驚したものです。
「鏡」は近年Blu-rayで買い直しました。
そして、タルコフスキー映画は全てBlu-rayで買い揃えました。
タルコフスキーにはかなり熱心なファンの方が多いらしく、以前雑誌で、タルコフスキーの作品がお好きだという批評家の方のお話を読んだことがあります。
旧ソ連では商業的な成功を考える必要がなかったため、タルコフスキーはひたすら自己の芸術的信念に基づいた作品を撮ることができたようです。
それを意識せずに撮れたというのはソ連という特殊な社会ゆえのことでした。
そういったことがあったからか、ソ連を離れた後の作品は芸術性という点で今一つの感があります。
タルコフスキーの作品はいずれの作品も極めて重苦しく、軽快さはあまり感じられませんが、特に「鏡」はズシリと重い作品です。
しかし、観ればその映像美に必ず惹かれるといってよいでしょう。
「鏡」で使われている音楽の美しさ
他の作品では例えば『惑星ソラリス』がバッハの有名なオルガン曲を使用していますが、「鏡」も音楽が印象的です。
さらに、タルコフスキーは祖先に優れた詩人がいたため、その詩の朗読がナレーションで「鏡」のなかに出てきます。
そのロシア語の響きが実に素敵です。
「鏡」の色彩に関しては、火の色以外はさほどではありませんが、それだけに火の赤色が目立ちます。
この作品を観ていると、自然の美に改めて感嘆させられます。
そして、そのシーンを通して登場人物の心理が象徴的に描かれているようです。
まとめ
映画は筋だけで語ってしまったら、詰まらないと思います。
やはり美しい映像があってこそでしょう。
セリフも重要ですが、まずは映像に語らせるべきだと思います。
演劇との違いはその点です。
「鏡」における俳優の演技も特筆ものですが、それ以上に映像が詩的で、シナリオがよくできているいうことが強く感じられます。
即ち、いわゆるスターシステムによりかからずに映画を撮ったのがタルコフスキーだったと言えるでしょう。
彼は本物らしくシーンを撮ることを信条としていたらしく、その辺には大変にこだわっていました。
その点も、観客を感動させるところです。
真に優れた映画、それが「鏡」です。
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