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傑作映画「この世界の片隅に」を観て感じたこと。

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広島市に住む絵を描くのが得意でちょっとドジなヒロイン「すず」は、港町呉市の北条家へと嫁入りで引越し、戦争の中の日常を生きていく。

新しい家族と戦争と思い出と今の気持ちと…すずが感じるものはどこまでも普通、そんな1人の女性の物語です。

目次

「のん」の声がすずにぴったり

すずの声はのん(能年玲奈)が担当まず、1番好きなところは、ヒロインすずの声を担当した「のん」さんです。

実は、映画を見る前、のんさんのことをよく知りませんでした。

バラエティーでたまに見かける、やわらかい雰囲気の朝ドラあまちゃんで有名な女性ということぐらいでした。

しかし、若くてふんわりしていてどこか抜けていそうな気の緩むような声がすずにとってもぴったりなんです。

広島弁のイントネーションも合わせて、縁側でお茶をお茶を飲んでいるかのようなのんびりした気持ちになるすずのキャラにひったりで、思わず「すずさん」と実在しているかのように呼びたくなる声なんです。

すずの芯の強さに心震えた

そんな心和む声とキャラだとお伝えしましたが、自分を取り囲む環境や葛藤に怒りとか悔しさだけでは表せない感情を抱えたとき、すずさんは普段のおっとりとは違う芯の強さを感じさせてくれます。

かたく握り込む手や震える肩、こらえきれない涙、そしていつもとは違う輪郭のはっきりした口調などちょっとドジなかわいらしいキャラであるからこそ、その差に驚きました。

わたしは普段から溜め込む性格なので、特にラストの戦争が終わって畑でいろんな気持ちがごちゃごちゃに混ざって泣く姿に自分を重ねて泣いてしまいました。

特定の誰かが悪いとも言えない、でも思うようにはいかない。

そんなリアリティのあるストーリーが観る人の胸にそっと寄り添う、等身大の人物を描き出しています。

すずさんは20歳手前でちょうど年齢が近かったので、もし自分だったらどういう風にこの時代を過ごしていただろうかと想像しながら物語を味わえたのも印象に残るきっかけになりました。

すずの「普通」は戦時中により輝く

料理をするすずそして、最初に書いたすずさんの紹介で「普通」の女性とありました。

そう、すずさんはいつもすずさんらしく振る舞い、料理をして、洗濯して、配給を貰いに行って、帰り道に迷って、縫い物をして…なにも特別じゃないんです。

戦争映画らしい命をかけた大きな挑戦や失敗のハラハラ感などはなくて、この時代に生きた人のどこにでもあった日常をそのままに細かく表現されています。

例えば、あるものを使うということで道端の野草を調理したり、回覧で紹介された少ない米をできるだけ省エネルギーで増やす方法を実践してあんまり美味しくないねと食べたり、義理のお姉さんに服を指摘され着物をもんぺに仕立て直しハギレで小物を作ったり、ひとつひとつの工程が丁寧に解説、説明されていて日常を一番に拡大して観れる構成になっています。

その生活の中で、すずさんが気合を入れて頑張ったり、上手くいかなくてちょっとへこんだり、北条家のみんなが落ち込んでいても素直な裏表のないすずさんのそんな姿を見てあははと笑顔になってしまう。

戦争という背景を持っているからこそすずさんの「普通」は、より切り取られて輝くのかもしれません。

平和に暮らせていること、普通であることの有り難さを痛感

戦時中の食卓戦争や飢饉を日常に感じられない現代の日本に住むわたしは、日常を過ごせることへの感謝が薄かったなと思いました。

日々の洗濯や掃除にはこんなにも手順や思考しなければならないことがあって、それらをスムーズにこなしていける環境や肉体・精神がある。

改めて、暮らしていくというのは普通かもしれないけど、普通ではないのだと思ったのです。

例えばすずさんのように片手を失ったら?
手順を組み立てる頭を使えないほど疲れたら?
疲れて仕事を休んで電気・水道などが止まったら?

今送っているようには一日を生きれなくなる。

健康でそれなりでも元気がないと、この大切な毎日は維持できない。

この映画を通して、心身の健康がいかに重要なのかを考えてみて、わたし自身の健康を思いやるように変化しました。

それは、寒い時は上着を着るとか食べたい物を食べるとかぐっすり眠るとかそういう当たり前と言われるものばかりでも、無意識に我慢して自分を傷つけて心身を少しずつ少しずつ削っていたものでした。

こういう小さな不満ってなかなか気付かないしやり過ごしてしまいますが、それに気付いて改善するには、わたし自身の感情をちゃんと見逃さないようにしなくちゃ、と学びました。

いかに自分に無関心だったのかを思い知らされ、すずさんの子供のような素直さをもっと好きになりました。

コトリンゴの音楽が映画にフィット

音楽はコトリンゴさんです。
これがまた優しく繊細な歌声で気持ちが柔らかくなります。

特に好きなのは、オープニング「悲しくてやりきれない」は1963年ザ・フォーク・クルセダーズというグループが発売したシングルの曲でサトウハチローさんが作詞をしています。

コトリンゴさんのカバーバージョンが映画で使用されているということですね。

残念ながら私の生まれていない時代の曲ですので、
詳しいことはわかりませんがこの歌詞が映画とぴったりなんです。

タイトルの通りやりきれない悲しさやむなしさが歌われている、一方でそれが美しく感動的な風景と共に流れ込んでくるのですね。

そのむなしさや悲しみはその風景で救われているのか、むしろ余計に辛さが増しているのか。

わたしは後者だと思っていて、空が美しくて緑は優しいけれども私の胸中はこんなにもやりきれない気持ちになってしまっている、というこの景色と思いの温度差が激しく描かれているところがポイントのように感じるのですね。

特にその自然の描写は雲が流れたり風が吹いていたり常に揺れ動きがあり、その動きが時代やその場の空気の流れに持っていかれ、たゆたう姿を連想させられます。

抗うべきではないしその気もないけど、ただただ悲しくむなしくやりきれなくて人の居ないところでその気持ちを溢れだすままにしているそんな歌詞だと感じました。

実際、映画の中ではすずさんも義理のお姉さんも人の居ないところで1人で泣いているシーンがあり、映画にぴったりな曲だと思いました。

泣いているすず曲調は高音が主な華奢なイメージで、途中コトリンゴさんのハミングのような声が美しく響き、歌詞を見るまでは明るくあたたかな曲だと思っていたした。

しかし、暗かろうが明るかろうが自分の感情をさらけ出せる時間というのはその人にとっては幸せなあたたかさを感じる時間かもしれませんね。

まとめ

残酷さもあたたかさも普通もプラスもマイナスもゼロもすべてが詰め込まれた、素晴らしい映画だと思っています。

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