ピーター・ウィアー監督作の『トゥルーマン・ショー』という映画が大好きです。
1998年のアメリカ映画で、それほどメジャーなビッグタイトルではないかもしれませんが隠れた名作でしょう。
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最初はつまらないと思ったけれど・・・
はじめてこれを観た時、開始から数十分までの私の感想は「つまらない映画だなあ」というものでした。
というのも、映画で描かれるのは普通の若者の普通の日常。
多少ジョークめいたところや楽しいところはあるにせよ、あまりにも普通すぎて、何をどう楽しめば良いのかがよくわからなかったのです。
実際にはこの映画には、非常に大掛かりな仕掛けが施されていた
見始めの段階ではそんなことは露ともわかりませんが、映画が進んでいくに連れて、今まで描かれていた若者とは別の、全く誰かわからない人達がテレビを見ているようなカットが挟まれ始めます。
だんだんとこの映画の本当の姿が明らかになってくる
ところが、暫くすると、トゥルーマンが唐突に父親と再会するシーンが訪れます。
再会といっても、それは正式なものではなく、偶然すれ違ったホームレスが完全に死んだはずの父親そのものだったというものです。
しかも、その父親はすぐにどこかに連れ去られていってしまう。
[moveline color=”#afeeee” sec=”5″ thick=”40″ away=”2″]この不可解な出来事から、[move]まさか自分が今まで流し見していたシーンにも、何かしら意味や伏線があったのではないか[/move]、と途端に映画の世界に引きずり込まれることになっていきました。[/moveline]
この時点では、何かのトリックやミステリーなのかと思って興味を持ち始めた段階です。
トゥルーマンの周りではどんどん不可解な事件が起こる
身近な人物が、まるでCMにでも出ているかのようにわざとらしく草刈り機の宣伝を始めたり、かつて恋した女性が何やら意味深なことを告げて同じく目の前からいなくなってしまったり、終盤ではトゥルーマンが乗ろうとしたエレベーターが急場しのぎで作られたベニヤ板のセットであることが判明したり。
そんな風に次第に不自然に綻び始める若者の日常、まるで急場凌ぎで作られたかのようなちぐはぐな世界の姿。
途中で、物語のタネに気づくチャンスが与えられる
というのは、何やら家族でテレビを見て楽しんでいる様子の人々の映像が、カット映像のように時たま放り込まれるからです。
それもそのはず、その若者の人生そのものが、この映画の中で秘密裏に撮影され、長くに渡って放送され続けている映画だったのだ、という真実が隠されていたからです。
最後はそのことに気付いた主人公が、監督に背き、自ら映画の外の世界へと飛び出し、自らの人生を自らの手で生きていく、というストーリー。
そんな彼が、この映画内の番組の視聴者よりももうひとつ外側にいる視聴者である私に残した感慨は、非常に大きなものでした。
映画終盤には衝撃を受けていた
映画が終わる頃には、とても言葉に表せないような衝撃を受けて、ある種の啓蒙すら得たような気分に。
自分は世界の一部であり、自分と同じように他の皆にも人生があって、物事はなるようにしかならず、それは世界に対した影響を与えることでもない。
私たちは毎日、当たり前のようにそんな感覚を受け入れて生活していますが、本当にそれが真実であると言えるのでしょうか。
もしかすると、この人生も映画!?
そんなことを、誰もが一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
そんなバカな、と思うかもしれませんが、子供の頃、一度はそんな疑問を持ったことはなかったでしょうか。
自分が自分として生まれ、他者の感覚を認知できない以上、自分以外の世界や人間が、本当にセットやエキストラでないと断言できるでしょうか。
私もかつて、そんな妄想をしたことがありました。
ですが、忙しい日々の中で、そんな感覚は生まれてもすぐに薄れて消えていきます。
それが、この『トゥルーマン・ショー』という映画を観て以来、ありとあらゆる自分の価値観の軸として深く息づくほどに、人生観というものに途轍もない楔を打ち込まれたのでした。
「自分の人生は映画であるか」と人から問われれば、やはりYESと答えるわけにはいきません。
実際にそうだとは思っていませんし、主人公を名乗れるほどにたいした生き方もしておりません。
自分の人生そのものを、まるで映画を楽しむが如く、良いことも悪いことも、全てひっくるめて肯定できるでしょう。
要するに、自らの人生を俯瞰する神の目を手に入れる、自分自身が、自分の人生という映画の監督になるキッカケを得た瞬間でした。
実は、私の人生観を変えるほどの映画だった
映画というものは、洋の東西を問わず、どんな作品であれ、何かしらの感慨を観るものにもたらしてくれるものです。
単純に楽しめるようなコメディ映画も、ハラハラドキドキのスリリングなアクション映画も、甘く切ない恋物語も、いずれも観るものに何かを伝えてくれます。
人生観そのものにまで影響を与える映画には、そうなかなか出会うことはない
そのフェイク世界の描き方、それに気が付く主人公の描き方の見事さが、映画を観終わった後までも、現実世界に対して自ら問題提起するきっかけを私に与えてくれたのです。
この映画を観る前と、観た後では、私はこの世界や自分自身に対する価値観がはっきりと変化したと言えます。
まるで自分自身を、自分が操作するアバターを見ているような気持ち
そんな一歩引いて、俯瞰したところから眺めているような感覚です。
[moveline color=”#afeeee” sec=”5″ thick=”40″ away=”2″]それを[move]「一青年の人生が、実は映画としてお茶の間に晒され続けている」[/move]という突飛でで思い切った設定の元、ひとつの映画作品へと昇華させ、成し遂げたことの素晴らしさです。[/moveline]
おそらく、実際にこの世界がトゥルーマン・ショーのように、自分のために用意されたセットである可能性はおそろしく低いのでしょう。
実際に、わたしはこの世界の片隅のちっぽけな1人に過ぎず、物事もまた、なるようにしかならないのかもしれません(><)
でも、もしかしたらそうじゃない可能性もある、というこの「たられば」がどれだけ人の精神を救ってくれるものであるか、私はこの映画のおかげで実感することが出来たのです!!
映画はただの娯楽ではないと思い至った瞬間
映画とは、単にアニメの拡大版、単なる娯楽のひとつに過ぎないと、それまで思っていました。
ですが、トゥルーマン・ショーの映画を観た後で、私は映画が芸術作品たりえる理由に初めて気が付いたような思いでした。
人に感銘を与え、その価値観に根本から楔を打ち込み、新たな視野をすら与えてしまう、そんな素晴らしい映像作品をフィルムを通して伝えること、享受できること、映画という芸術のもつ真の力の一端を垣間見たかのような思いです。
わたしももまだまだ人生これから。
でも辛いときには、トゥルーマン・ショーのことを思うのです。
いつかわたしも、わたしを見ているお茶の間の視聴者に声高らかに挨拶して、そっと暗幕を降ろせるように。
ふと、そんなことを思うのでした。
「映画」という素晴らしい芸術作品の無限の価値
トゥルーマン・ショーに限った話ではありませんが、このような作品が存在するからこそ、映画が「芸術」というカテゴリに長く君臨することが出来るのだと思います。
作り手がやりたいことをやって、見せたいものを見せて、それで終わりではありません。
観たものが、その映画を観た先に、無限の価値観や未知の考えに出会うこと、それが芸術作品たる映画の持つ力です。
「トゥルーマン・ショー」を見たきっかけ
少し話が脇道に逸れてしまいました。
こちらのトゥルーマン・ショーという映画については、大学生の頃に、当時お世話になっていた教授からの紹介で、初めて観るに至りました。
実際に上演されたのは私が8歳の頃でしたが、縁あって大学時代にこの作品に出会うことが出来ました。
先に述べたとおり、私はこの映画に並々ならぬ感銘を受け、人生観すら揺るがされたわけですが、大学生という、立場的にも精神的にも最も自由で不明瞭な時期に、まさにお誂え向きの映画だったと思っています。
「自分は誰で、何のために生きていて、そしてどこに向かうのだろう」そんなことをいちばんよく考えるのは、適度な知性と有り余る時間を備えた、大学時代ならではかもしれません。
私はそんなモラトリアムな時期に、このトゥルーマン・ショーという映画に出会い、凄まじく高尚な解のヒントを与えてもらったと言えるでしょう。
若い子たちはこの映画を観てどう感じるだろうか?
個人的には、この映画を若い子たち、それこそ高校生や中学生が観ることがあれば、一体どんな風に感じるだろうかということが気になります。
彼らの心にどんな波紋が広がるのかを、見てみたいものです。
もしかしたら意味を解さないかもしれませんし、種明かしを経た後でも、退屈な映画だと感じる子もいるかもしれません。
しかしそれでも、「自分が何者であるか」という答えに対して、物理的・立場的な答えを明確化し難い若い時代にこそ、やはりこの作品に触れてみてほしいという、そんな思いがあります。
本当の啓蒙とは、何も勉強からのみ得られるものではありません。
優れた映画作品は、時として勉強以上に多くのものを与えてくれます。
『トゥルーマン・ショー』Twitter口コミ
ここ最近で感動した映画が「トゥルーマン・ショー」やってんけど、最後のセリフめちゃくちゃかっこいいよな…
久しく痺れる作品に出会ってなかったからまた見たい。何度でも。そういう作品沢山みたい。— のこ (@noko218) December 24, 2020
Summerholic!のMV、ないはずのカメラと視線がめちゃくちゃ合う(日常生活風景のはずなのにカメラ目線がすごい)ので、まるで”監視されていることを知っている主人公のトゥルーマン・ショー”みたいだなって思いました
冷静に考えたらちょっとホラー…?#SS2ndAL
— 南巳鈴歌*KING OF SSS (@himiko1103) December 24, 2020
『トゥルーマン・ショー』よく名前を聞くけど観たことないシリーズ。久しぶりに「映画」って感じでよく出来てる映画だったな。若干ネタバレ踏んでたにも関わらず展開が読めそうで読めず。現実にこんなことは起こり得ないと信じたい。誰かの人権が蹂躙されて成り立つ産業なんて潰れてしまえー。
— 栗しゃむkurisham (@kurimusi) December 24, 2020
インフルエンサーになるってことはトゥルーマン・ショーみたいな生活しなきゃ行けないんでしょ?私だったら耐えられねー
— uk_az (@uk_az) December 23, 2020
トゥルーマン・ショーを見たんだけどとても面白かった
エンディングでいつの間にか自分が作中における「トゥルーマン・ショーを見る側の人間」になってしまっていることに恐怖を感じるとともに、そのようなメタ的な構造を構築した監督の手腕に感動した— ゆま (@mato_hu7) December 22, 2020
作り物みたいな空を見ると
ジム・キャリーの映画のトゥルーマン・ショーを思い出す pic.twitter.com/AtQbaoThJ9
— 空き地 (@apollo0u0aki) December 22, 2020
例えばこの世界が本当に有るのか?と考えだすとこわいし、笑えるし、楽しい
トゥルーマン・ショー的、血族的な事無いとも言えない— 千野六久 (@sixvoice) December 20, 2020
まとめ
トゥルーマン・ショーが最初に世に出てから、既に20年以上が経過しましたが、今の時代なら、様々なメディアで過去作品を楽しむ機会も得られるはずです。
今の時代でも全く持って通用する作品です。
若い人に見てほしい、と言いましたが、老若男女を問わず、多くの人がこの作品から、何かを感じ取って開眼してくれれば、感銘を受けた人間として、これほど嬉しいことはありません。
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本ページの情報は2020年12月時点のものです。
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