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フランスの名匠ジャン・ルノワール「大いなる幻影」|戦前最高の名画

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大いなる幻影

もともと、これが名画だという評判は聞いていました。
さらに、フランスが生んだ世界的な名優ジャン・ギャバンが主演していたことも分かっていました。

目次

舞台は第一次世界大戦における独仏戦の戦場で、大変反戦的な内容

国境を超えた友情、階級、戦争などに関して深く考えさせる作品です。

この作品にはシュトロハイムという有名な映画監督で俳優だった人が出ていて、彼のこの映画での名園も光っています。

シュトロハイムが監督した米映画「グリード」は戦前を代表する名画としてよく知られています。

さらに、「大いなる幻影」においては、ピエール・フレネーの演技も見事です。
彼も著名な映画俳優でした。

ジャン・ルノワール監督作品は他にもたくさんあり、いろいろDVDやBlu-rayを買って観ましたが、その中でもこの作品はベストワンです。

人間の偉大さを描いて、言葉の真の意味でのヒューマニズムを感じさせる

大いなる幻影

この場合のヒューマニズムというのは、人種、民族、国境を超えた人間愛、人道主義というものです。

映画というのは小手先の技術に走るのではなく、大きなメッセージを発することに意義があると考えます。

その意味で「大いなる幻影」は最も優れた映画だと思いますよ。

戦後間もない頃まではヒューマニズム溢れる映画が多かったのですが、1960年代あたりから映画は変質しました。

それは映画の主題が変わったということです。
その中にも、名作はたくさんあります。

「大いなる幻影」は、現代日本人が想像しがちないわゆる戦争映画とは異なっている

大いなる幻影

戦闘シーンが面白い、あるいは逆に単に戦争の非人間性を告発するといった作品でもありません。

この映画は、民族を超えた友情を通して、戦争の非人道性を描いた作品と言えます。

[moveline color=”#afeeee” sec=”5″ thick=”40″ away=”2″]文学作品にも反戦的な内容のものはいろいろありますが、[move]映画の強みは、俳優という生身の人間を通してよりリアルに戦争の酷さや国を超えた友情を描ける点[/move]にあります。[/moveline]

「大いなる幻影」のキャストについて

ジャン・ギャバンは特別にハンサムというわけではありませんが、頼りがいのある男という印象があります。
フランスの青春とよくいわれる名優なのです。

とりわけ、この作品には映画史上に残る名優が何人も出演しているため、その感動は極めて強いです。
端的に言って彼らの演技力には圧倒されます。

監督ジャン・ルノワールについて

彼は、有名な画家オーギュスト・ルノワールの息子で、1920年代から短編映画を撮り始め、30年代には長編映画で数多くの傑作を世に送り出しました。

その作品には「ボヴァリー夫人」や「獣人」のように19世紀フランスを代表する小説を脚色したものもあれば、「ゲームの規則」のようにそうでないものもありますが、いずれにも深い意味で人間的なものが脈打っています。

これはフランス映画の伝統と呼んでいいもので、わたしもそのあたりの魅力に20代から惹かれて、のめり込み、数多くフランス映画を観てきました。

そういった作品は単なる娯楽作品ではなく、深い芸術性を感じさせ、そのヒューマニズムが観る者を感動させるのです。

「大いなる幻影」は、米映画の「プラトーン」とは異なる類いの戦争を扱った映画

大いなる幻影

その違いは仏映画と米映画の差異といってもよいのですが、「大いなる幻影」はジャン・ルノワールならではの作品なので、現代の仏映画の主流とはかなり異なります。

彼の作品はあまり音楽が印象に残ることは有りませんが、俳優の演技や設定の巧みさなどが優れているように思います。

特に「大いなる幻影」は、その意味でも彼の最高傑作の名に恥じない名優の共演がみられます。

現代からみると、1930年代は、19世紀末に生まれた映画が20年代にトーキーとなり、その手法が成熟してきたため、数多くの傑作が生まれたのでしょう。

戦時下の日本では上映されなかった

大いなる幻影

映画が成熟し、その真打ちのように登場した「大いなる幻影」。
日本は軍国主義の時代だったので、検閲を通れずに上映できませんでした。

そして戦後漸く上映された際に、大きな感動を呼び起こしたわけです。

わたしは、紀田順一郎の「夢のなかの本」を読んだ際にこの作品のことを知りました。

エマ
時代の変化から、もうこのような映画が作られることはないでしょう。
それは致し方ないことで、人々が映画に求めるものが変質してしまったということです。

そのような変化は1970年頃に起きたようです。
それは、戦後も遠くなったためでしょうね。

学生運動の終焉ということも関係があります。

ヒューマニズムがナイーブな形で人々に受け入れられて、反戦映画がヒットするという状況ではなくなった現代

大いなる幻影

人々の意識が多様化した結果、大きなテーマというと敬遠してしまう若者が多くなったように感じます。

国境を越えた友情というのも、民族主義が強まっている現代では多くの方に受け入れられるテーマではなくなってしまいました。

これはとても残念なことです。

逆にこういう時代だからこそこういう映画を若い方に観てほしいと思います。

そうすると普段、若者が接している映画と全く異なるために、かえって新鮮に受け止めてもらえるかもしれません。

そこに期待したいですね。
何事も若い方に希望を見出したいと思います。

エマ
「大いなる幻影」には軍人しか出てこないので戦争嫌いの方は敬遠したくなるかもしれませんが、反戦的で、温かい作品でもあるため面白く感じられるのでは??

その温かさは、現代では失われてしまったものですが、単なる懐古趣味ではなく、本来、映画とはこういうものだったのではないかという気持ちを観た方が抱くと思います。

小手先の技術に走るのではなく、人間の偉大と悲惨を描くのが映画芸術の要諦だと考えるのですが、いかがでしょうか??

大いなる幻影

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