TBSテレビとツインズジャパン社によって製作されているドキュメンタリー映画です。
TOHOシネマズシャンテを封切りにして、ギャガ・コミュニケーションズの配給によって2020年の3月20日から全国ロードショーされました。
メガホンをとったのは豊島圭介監督
佐賀県内の弱小男子ソフトボールチームに突如として全国大会への出場チャンスが転がり込んでくる「ソフトボーイ」や、密室と化した無人島のリゾートホテルで発生した殺人事件の真相に迫っていく「耳を腐らせるほどの愛」など、爽やかな青春スポーツドラマから本格的なミステリーまでを手掛けています。
[moveline color=”#afeeee” sec=”5″ thick=”40″ away=”2″]TBSの緑山スタジオに40年以上埋もれてあった貴重なフィルム映像を、[move]最先端の技術によって劇場公開用に甦らせた作品[/move]です。[/moveline]
昭和の日本文学をリードし続けた稀代の行動派作家と、理想と革命を追い求めていた東京大学の学生たちとが激しい直接対決を繰り広げていく衝撃作に仕上がっています。
「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」あらすじ
全学共闘会議の結成
1968年日本全国各地でバリケードストライキを敢行していた大学生たちが続々と集結していき、学部や派閥を越えて全学共闘会議を結成しました。
年が開けて1969年の1月を迎えると、全共闘の学生によって占拠されていた東京大学本郷キャンパスの安田講堂に警視庁の機動隊が突入する非常事態が発生します。
そんな若い世代の政治的な動向に常日頃から目を光らせていたのが、国内外から高い評価を受けていた文豪の三島由紀夫です。
自身は自衛隊への体験入団や武装決起集団「楯の会」を結成している右よりの論客者であるために、左翼主義の全共闘との主張とは相容れません。
徹底討論会の開催を要求
東大全共闘は駒場キャンパスの900番教室に三島や一部のマスコミ関係者に招待状を送り付けて、徹底討論会の開催を要求してきます。
非合法の暴力的な手段も辞さないという姿勢の過激派の学生たちのど真ん中に、三島は警察の護衛を断って単身乗り込む覚悟です。
5月13日1000人を越える聴衆が詰めかけて異様な熱気に溢れかえる中、世紀の論戦の火蓋が切って落とされるのでした。
「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」キャスト
ナレーション|東出昌大
全編に渡ってナレーションを担当しているのは、1988年生まれで埼玉県出身の俳優・東出昌大です。
10代の後半から三島文学の熱心なファンでもあり、「花ざかりの森」から「命売ります」までを読破したという並々ならぬ思い入れが伝わってきます。
全4巻にもわたる長篇大作でもあり遺作でもある「豊穣の海」が2018年PARCO PRODUCEによって舞台化された際に、松枝清顕を演じたこともあってズバリ適役でした。
豊島監督の2016年作「ヒーローマニアー生活ー」では、冴えないコンビニ店員の役でコミカルな演技を披露していますので見比べでみると面白いですよ。
解説者|平野啓一郎
解説者として過去の膨大な作品群を紐解いていくのは、三島由紀夫賞の選考委員に名を連ねている平野啓一郎です。
鮮烈な文壇デビューを果たした若き日には「平成の三島由紀夫」として脚光を浴びていただけに、その独自の理論と大胆な解釈に引き込まれていきます。
自身も小説家として活躍している瀬戸内寂聴がインタビューの中で打ち明けている、三島との知られざる交遊関係や貴重なエピソードも聞き逃せません。
「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」感想
世の中の不平等を変革しようとした若者たち
パリの英雄・ドゴールを辞任へと追い込んだフランスの五月革命、美しい街並みと無慈悲な戦車とのコントラストが際立つプラハの春、キング牧師による「私には夢がある」のスピーチが今なお色褪せないアメリカの公民権運動。
1960年代の後半に世界各国で同時多発的に起こった市民運動の数々が、オープニングからモノクロで映し出されていきます。
世の中の不平等を自分たちの手によっていつの日にか変革できると信じていたのは、海外の知識人たちばかりではありません。
日本国内最高峰の教育機関でもあり卒業したあとはエリート街道まっしぐらという、東大合格者たちが火炎瓶やゲバルト棒を握りしめて走り回っている姿にはビックリしますね。
執筆活動だけではなく舞台劇の演出を手掛けたり映画にも出演したりと時代の寵児である三島由紀夫も、彼らにとっては「近代ゴリラ」でしかありません。
[moveline color=”#afeeee” sec=”5″ thick=”40″ away=”2″]両極端の見本のような三島と東大全共闘が対峙してピリピリとしたムードが会場に立ち込めていく中で、[move]片手に赤ちゃんを抱いた不思議な若い男性の登場シーンが鮮烈[/move]でした。[/moveline]
青年の名前は芥正彦、劇団ホモフィクタスを旗揚げした劇作家、全共闘屈指の論客者、23歳にして一女のお父さん。
芥と三島とがお互いの持論を遠慮なくぶつけ合う
教壇の高みから決められたカリキュラム通りに講義をする大学教授たちよりも、学生たちと同じ目線で一対一で向かい合う三島の方がよっぽど「先生」らしく思えたのでしょう。
いつしかふたりの間には奇妙な信頼関係のようなものが芽生え始めていく
三島が口に咥えたショートホープに芥が火を付けてあげる瞬間には心温まります。
1970年代に入ると学生運動も終息へ
この討論会の参加者たちもそれぞれのターニングポイントを迎えることになります。
ある者は永遠の革命を求めて海を渡り、ある者は敗北を噛みしめて体制側の一部へと歩みより、ある者は若くしてこの世を去って。
そして三島事件へ
1970年11月25日軍服に身を包んだ三島が市ヶ谷自衛隊基地の窓から演説している映像は、多くの日本人の脳裏に焼き付いているのではないでしょうか。
ノーベル文学賞の栄光を目の前に掴もうとしながら、なぜ三島が破滅的な道のりへと突き進んでいったのか考えさせられます。
まとめ
国家権力が作り上げた社会のシステムに持てる力のすべてを振り絞って立ち向かっていった、当時の若者たちのエネルギーには圧倒的なものがありました。
高倍率の受験競争を勝ち抜いて有名大学に入学しながらも、何となく物足りなさを抱いている今どきの大学生の皆さんにはオススメな1本です。
若かりし頃に学園闘争や反戦デモに明け暮れていた、団塊の世代の方たちも是非ともご覧になってくださいね。
comment