スティーヴン・キングの小説を映画化した本作。
まさに、ゾクゾクするような展開で、わたし達を出迎えます!!
『ペット・セマタリー』あらすじ
クリード一家が、都会(シカゴ)からメーン州の田舎町に引っ越してきたところから始まります。
若い医師のルイスと、美しい妻のレーチェルの夫妻。
子供はエリーとゲージの姉弟で、ゲージはようやく歩き始めたくらいの幼児です。
ど田舎の一軒家に越してきたクリード一家
ルイスが購入したのは一軒家で、向かいに年老いた男・ジャドが住む家以外、見渡すかぎり何もない、まさにど田舎でした。
2軒の間を走る広い道路には近くにある会社のトラックが、猛スピードで走る様子が描かれています。
なぜか歩道やガードレールはありません。
道を隔てた両家の敷地にもブロックや柵などなく、かなり危なっかしく思えます。
森の中の共同ペット墓地
町では飼っていた犬や猫が道路で轢かれて死んでしまい、森の中にある共同のペット墓地に葬られていました。
ちなみに墓地の入り口にはペット墓地を表わす英語が書かれているのですが、子供が書いたので綴りを間違えて“PET CEMATERY”になっています。
そんな環境なので、ペット以外に小さな子供だってトラックに轢かれる可能性があります。

実際、両親たちが目を離した隙にゲージがよちよちと歩きだしてしまい、危ないところをジャドが救っているくらい。
このシーンが実に怖くて、早くも冒頭から危うさを感じてしまいましたね。
幼い子供がいるのだから、危ない目に遭わないように手立てを考えないのかと思うのは時代の違いでしょうか。
クリード一家の飼い猫が轢かれて死んでしまう
猫を可愛がっていたエリーは悲しみにくれます。
エリーに同情したジャドがルイスにある提案を持ちかけました。
半信半疑ながらルイスがジャドの後をついて延々と歩き、ペット墓地のさらに奥にある秘密めいた場所に猫の死骸を持ち運びます。
ある晩、死んだはずの飼い猫がひょっこりと戻ってきた!
エリーは、もう大喜びします。
しかし、戻ってきた猫は腐臭を発し、足を引きずって歩いてきました(怪我した足はそのまま)。
見るからに不気味な存在に変わったように思えましたが、喜ぶエリーの前で両親は離してきなさいと言えません。
そして、息子ゲージまでも…。
それが悲劇の始まり。
つまり、死んでしまっても、蘇らせることができると知ってしまったのです。
数日後、またしてもゲージがふらふらと道路に出ていこうとします。
途中で気付いたルイスは慌てて走りだすのですが……。
親しかった者、愛する者が死ぬのは辛く悲しいことです。
再び遭いたいと願うのも当然の感情でしょう、ましてや子供を失った親の立場であるならば。
猫を蘇らせた(生き返らせたとは思えない)時点で、まるで野生が戻ってしまったのかと思うくらい凶暴化していたこと、
ジャドが語ったこれまでの事から、化け物のような存在に変わってしまうのは、ルイスも分かっていたはずでした。
タブーを冒してしまうのが人間の弱さなのでしょうか。



わたしは原作小説も読んでいたので、心理描写という面では小説の方がじっくりと描かれています。
映画でも、一見冷静そうに見えるルイスが徐々におかしくなっていく様はよく伝わってきました。
もちろん、映像や音声による迫力も効果満点です。
蘇ったゲージの暴れっぷりがかなりのもので、まさにホラー映画ならではでしょうか。
物語後半、大事故で多数の重傷者が発生
彼らは、ルイスの勤める医院に運ばれます。
その患者の一人にヴィクターという男性がいました。
彼は治療むなしく死亡してしまいます…。
でも唐突に起き上がってきたり、度々出て来て喋りだしたのには驚きを通り越してユーモアさえ感じたものです。
それまでの物語の流れにそぐわないように思われました。
実は死したヴィクターは禁忌を破ろうとしているルイスに対して、忠告を与える立場だったのです。
さらにエリーも夢でルイスが悪いことをしようとしているのを感じて、レーチェルを通じて幾度も止めようするあたりが健気に感じました。
愛する息子の死を受け入れられず、狂気へと突き進むルイス
破滅へ向かうルイスをなんとか止められるかと期待を持ってしまうのですが、ルイスは愛する我が子を取り戻したいばかりに狂気に身を委ねてしまいます。
観ている方としては、ルイスが悲しみを克服し、残された家族を大事にしようと切り替えられれば、悲劇は回避できたのにと残念でなりませんでした。
それほどまでに、目の前で息子を亡くしてしまった悔恨が強すぎたのかと思いましたね。
まとめ
ホラー映画としての怖さは充分感じるのですが、むしろ愛する者を喪ったばかりに、道を踏み外してしまった男の悲しさを感じる作品です。



原作はスティーヴン・キング。
彼の生み出した幾多のホラー作品の中でも、特に印象深い作品でした。
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