「海の上のピアニスト」は名匠ジュゼッペトルナトーレ監督が手掛けたイタリア映画作品です。
ピアニストが主人公というだけあって、音楽は多くの映画音楽を手掛けてきたエンニオモリコーネが作曲しています。
主演はイギリスの俳優ティム・ロスです。
私は自分の人生がやりきれないと感じた時に、観てしまう作品です。
「海の上のピアニスト」あらすじと感想
物語は第二次大戦が終結した直後、ある男が自分のトランペットを楽器屋に売りに来るところから始まります。
そこからその男、名前はマックスの思い出話がスタートします。
彼は主人公の親友です。
類まれなピアノ弾き1900。しかし船を降りたことは1度もない
主人公の名前は1900(ナインティーン・ハンドレッド)という風変わりな名前で、豪華客船に生み捨てられていたため名前らしい名前も国籍もなく海の上、船の中で育ちます。
彼にはピアノを弾かせたら右に出るものはいないというたぐいまれな才能がありました。
ですがなにぶん船を一度も降りたことがなく、世界のことは人伝に聞いたことしかありません。
みんなが船を降りどこかへ行ってしまうのを一人で見ていたりと、才能に恵まれながらも孤独が物語の最後まで付きまといます。
船を降りることなど簡単で、一歩を踏み出せば人生は開けると親友のマックスは言います。
ですが彼は頑なに降りません。
自分には国籍もなければ名前もない。
そう彼は言いますが、それは単なる理由づけをしているように私は思っていました。
自分が一歩踏み出すことが出来ないことへの言い訳だと。
恋に落ち、船を降りるかに思われたが…
ある日、彼は船を降りようとするきっかけが出来ます。
船上で出会った女性に恋をしたのです。
そこでその女性とわずかばかり言葉を交わし、彼女が船を降りる際にこれから住む住所を聞きます。
その後彼は船で出会った人々に別れを告げ、タラップを降りてゆきます。
案外踏み出すきっかけなど簡単で、何かにおびえたとしても勇気を振り絞れば前に進めるのかもしれない。
そう私は鑑賞しながら思っていましたが、主人公は立ち止まります。
タラップから見える都会の景色をしばらく眺めていました。そうして忘れ物でもしたかのように悠然と船に戻ってゆきました。
そうしてまた以前のように船の上でのみ、ピアノを弾き続けたのです。
この話は一種のファンタジーです。
そんなことはありえないのに、本当に船の上で一生を過ごした人物のドキュメンタリーを見ているかのように錯覚してしまいました。
それだけ映像や主人公の奏でる音楽に説得力があった。
そして本当は誰しもが持っているのではないかと思う人生の哲学を感じました。
なぜ彼は船を降りなかったのでしょう?
降りることが出来なかったのでしょう。
ラストシーンで主人公は親友であるマックスに言います。
「船を降りた街には終わりがないんだ。始まりがあっても終わりなんてない。住む場所を選べ。伴侶を選べ。自分の生きてゆく道を選べ。陸とは私にとって巨大すぎる船。その恐怖に耐えられない。船を降りられないから、人生を降りる」
一度聞くと人間にとってしごく当然のように感じます。
人生を人は常に選択し、生きている。
ですが、私が人生に対してやりきれないときに観る理由はこの台詞と誰しもが当然として生きている普遍的な生き方に疑問を持つときがあるからです。
確かに私たちは常に選択していますよね。
情報過多の現代と映画を照らし合わせてみると…
特に現代になって、情報化社会となり多くの人と価値観を共有することができたりインターネットの普及で様々な情報を得ることが出来るようになりました。
ですがどうでしょう。
私たちは情報を得ることと引き換えに、情報を捨てる努力をしなければならなくなったという考えも出来ます。
フェイクニュースやデマに踊らされてしまうことも多々あります。
そのことがネット上で暴徒と化すケースもあります。
この物語で例えれば私たちが生身で住んでいる世界が船の上、情報過多となったインターネット上は、まるで陸のように感じます。
その情報化社会のなかで自身の気持ちや感情を保つことは簡単ではないように思えます。
観る人によって解釈が変わる味わい深いストーリー
主人公は絶対的な才能がありながらも終わりのない世界に恐れをもって、船を降りることなく船と運命を共に海に消えてゆきます。
それはまるで世の中の仕組みが分かっていても、前に進むことが難しい自分と照らし合わせてしまう。
体験したことのない、触れられない情報に惑わされながらも、正しいといえる情報を得なくてはならない世の中に自分は立っていることを意識しました。
この映画はとらえ方によっては、最初の一歩が踏み出せない人間の物語、一見華やかに見える人でも悲哀を背負い込み孤独なのだという物語、終わりのない世界で自分の生き方を選ばなければいけない人間の葛藤を描いた物語。
当然のことながら観る人によって、角度を変えて観ることによって映画の解釈は変わります。
それでよいのだと私は思います。
それだけこの映画は重厚感があり、考えさせられる部分が多く、もやもやとした感情の整理の付かない余白を残してくれているのです。
主人公は作中ある人の影響を受け、「海の音が聞きたい」と言います。
「海の音が聞きたい」1900の言葉の真意は?
人生を船の上で過ごしてきたから海の音など聞き飽きていてもいいはずです。
ですがそう言うのです。
「陸の上から海の音が聞きたいのだ」と、彼はそう言います。
この台詞は私にとって、インターネット上に溢れる言葉ではなく生身の自分の考えや、人の話や姿を見聞きしたい。
そうして目の前の人の価値観や考え方を聞いてみたいのではないかと思えてなりません。
陸という膨大な意見に溢れた場所から、自分が今いる場所を見つめなおす。
それは現代社会を生きている私にとって大事なことであると思います。
1900の人生は孤独だったのか?
主人公は失意と孤独の中で死にますが、唯一の救いはマックスという彼のことを忘れないでいてくれた存在がいたということでしょう。
回想シーンでは誰もが彼の才能を認め、讃え、称賛します。
ですが回想シーンが終わると彼のことを語る人物はマックスしかいません。
夢物語であるから、といえばそれまでですがあれほどまでに船の上で才能を発揮し多くの人を楽しませた人を誰も語る描写はないのです。
時代は動きそれぞれの人が自身の人生だけで精一杯になっても、たった一人でも自分のことを覚えてくれたのなら少しでも救いはあるように思えます。
「マックス、君は特別だよ」その台詞にどれだけマックスが救われたでしょう。
また主人公である「1900」が音楽だけではなく、自分の人生が決して孤独なものでは無かったと思えた瞬間だったでしょう。
私たちの人生の一部、ないしは大きな部分さえもこの豪華客船で繰り広げられるドラマから感じ取ることができました。
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