今回ご紹介するのは、2017年のスウェーデン映画『ザ・スクエア 思いやりの聖域』です。
この作品の監督を務めたのはリューベン・オストルンドという方で、以前『フレンチアルプスで起きたこと』という作品で注目を浴びました。
今回の作品も第70回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で、パルム・ドールを受賞。
リューベン監督の撮る作品の特徴は、大きな事件が大して何も起こらないところですね。
とにかくこれまでにない新鮮さを感じるので、未見なら『フレンチアルプスで起きたこと』と共にオススメです⭐️
「ザ・スクエア 思いやりの聖域」あらすじ
主人公・美術館のキュレータークリスティアン
この物語はスウェーデンのストックホルムの美術館のキュレーターが、インタビューを受けるところからはじまります。
このキュレターの男性が主人公クリスティアン。
彼はオシャレなスーツを身にまとい、セレブのような生活をしているのです。
美術館では、新しい企画「ザ・スクエア」の準備が進められている
この「ザ・スクエア」という企画のテーマは、思いやりや信頼といったものです。
具体的には美術館の敷地内の庭に四角いスペースを設け、その領域内に入った人は全て平等であり、公平に扱われるといった内容のものでした。
要は利他的な気持ちを持つスペースを設けるという、新しい発想のアート作品なのですね。
財布とスマホを盗まれたクリスティアン
さてこの後主人公のクリスティアンは街頭でちょっとしたトラブルに巻き込まれますが、この時に財布とスマホを盗まれてしまいます。
出勤したクリスティアンは、部下にGPSを頼りに財布のありかを調べさせます。
すると、ある特定の団地の建物までは指定できました。
そこは貧困層の人々が住む地域。
[moveline color=”#afeeee” sec=”5″ thick=”40″ away=”2″]部下の提案により[move]「財布とスマホを返せ!盗んだ者はコンビニに届けろ、さもなければどうなるか分からないぞ!」というような内容の脅迫状のビラ[/move]を、各部屋に届けることにしました。[/moveline]
随分乱暴なやり方です。
1人でビラを配るクリスティアン
さて部下と目的の団地に着くと、何となくガラの悪い人が多く治安の悪い地域だと分かるのですね。
そこで部下が自分はビラを配らないと言い出したので、クリスティアン本人が配ることにしました。
彼は「思いやりと信頼」をテーマにしたアートを企画しておきながら、脅迫文を一部屋一部屋配っているわけです。
何とも滑稽です。
差し入れが、後々とんでもないことに
数日後、コンビニに財布とスマホが届けられ、財産が戻ってきた安心からクリスティアンは浮浪者に差し入れをしたりします。
しかし彼のしたこの行いが、後々やんわりと響いてくるのですね。
前置きで述べましたように、警察沙汰となるような大きな事件には発展しません。
しかしクリスティアンはこの行為を振り返り、後々随分と後悔するようになるのです。
企画「ザ・スクエア」の広報を若手に任せきりにする
一方美術館の方では「ザ・スクエア」の広報を、若手のプロに任せることとなりました。
クリスティアンは彼らの仕事のチェックもせず、任せっきりなのですが、これも後々嫌なタイミングで響いてきます。
全体を通して、意図的に人を嫌な気分にさせる描写が多い
これはリューベン監督の作風であり、前作の『フレンチアルプスで起きたこと』も同様です。
特に音響がとても有効に用いられており、そのあたりを注意深く鑑賞すると本作品がより楽しめるのでしょう。
例えば、美術館内にやたらと積み重ねられた椅子がぐらつく時の音。
無造作に積み重ねられているので、今にも雪崩のように崩れそうなのですがそうはなりません。
その近くで男女が会話をしているのですが、その会話を遮るようにノイズが入りキィーっとなりました。
後は後半に現れる、貧困層の子供の声やしゃべり方なども挙げられます。
いちいち人をイラッとさせるような音の連続で、そこが非常に面白いなと感じました。
皮肉めいた風刺が効いている
[moveline color=”#afeeee” sec=”5″ thick=”40″ away=”2″]またこの映画は[move]「善意を持とうと思っている人、もしくは自分は善意的だと認識する人が、案外それとは真反対のことをしてしまう」[/move]といった皮肉めいた風刺がなされています。[/moveline]
クリスティアンは高尚な理想を持っていながら、ラストでは自分の子供にも惨めな姿を見せてしまいます。
前回の『フレンチアルプス~』では、主人公が男性らしく振る舞えなかった悲劇が描かれていますが、今回は主人公が利他的な人格者とは程遠い存在であることを、嫌という程見せ付けられます。
サルの存在
それはアンという記者が飼っているサルなのですが「なぜ彼女がサルを飼っているのか?」という説明は一切なされません。
そこが何とも言えず奇妙です。
クリスティーンはアン宅でサルを見かけるのですが、「わぁサル飼ってるの?」とか「君のペット?」などのセリフが全くないので、とても冷たい人間だという印象を受けました。
2人は肉体関係を持つのですがその後、コンドームの始末をどちらがするかでも一悶着あります。
そのような意味では「何これ?」と思うシーンの連続と言えるでしょう。
大したことは起こっていないのに惹きつけられる、凄い作風です。
更に1番の見せ場ともいえる美術館主催のパーティーシーンでは、人間がサルになりきってパフォーマンスするというショーが始まるのですが、このサル人間が大暴走。
本物のサルなのではないかと思えるほど制御が効かず、綺麗に着飾った人々に絡んでいきます。
このシーンは、本当にシャレになってないなと感じました。
最初はモンキーパフォーマンスだからと笑っていた人々が、だんだん苦笑いになり遂には真顔になる瞬間が堪りません。
またここで、集団ヒステリー的現象へと展開していくのが意外でした。
クリスティアンの人生転落
物語終盤では、クリスティアンが任せっきりにしていたYouTubeの動画広告がとんでもないものであったと発覚。
若者である広報担当者が思い付いた動画広告は、ドン引きするぐらい残酷極まりないもので、自分がもしもクリスティアンであったら人間不信に陥るかも知れないと思いました。
更に1番気がかりなのは、絶えずクリスティアンにまとわりつきクレームをつけていた貧困層の少年は、どこに行ったのでしょう。
確かに警察沙汰ではありませんし、家を訪ねても「引っ越したのでは?」とのこと。
しかしおそらくクリスティアンの心の中は、罪悪感でいっぱいなはずです。
そしてこの先も…。
一見いろんな出来事がバラバラに起こっているかのよう。
ですが、実は全て同じようなことを言わんとしているのだと気付きました。
後味の良い映画とは言えませんが、何か変わった作品が観たいという方には特にオススメです。
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