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『雨月物語』溝口健二監督作品。モノクロ邦画の名作にしびれる

雨月物語

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溝口健二監督の「雨月物語」は、数ある名作映画とされている映画の中でも心に長く記憶にとどまっている作品の一つです。

私はもう結構な年ですが、それでもまだ生まれてもいないこの時代に製作されたモノクロ映画を鑑賞するのには時間がかかりました。

よほど映画好きでもなけでば、モノクロの過去の作品など、高度成長期の終わりからバブル時代の日本では、あまり顧みることが少ない映像だったのです。

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モノクロの『雨月物語』をわたしが見た理由

たまたま空き時間があったということもありましたが、まだインターネットが常時接続で普及する前の頃でしたので、少し過去の名作でローカルなTV放送があれば観ておこうという位の気持ちでした。

そのため、有名でタイトルくらいは知っていたこの作品を、黒澤映画の一つと勘違いしてぼさーっと見始めたのです。

ただし、出演者京マチ子、水戸光子、田中絹代…とテロップが出るにつれ、古さをひしひしと感じ、男性の俳優人の名前に至っては顔は見たことがあるものの知らない人ばかりで、全く乗り気がしない状態でした。

ところが、一旦観始めると…!

瞬く間に小気味良く痛快なストーリー展開、一転ホラーとも言えるサブストーリーや幽玄な映像美に時を忘れるよう

エマ

すっかり、楽しく引き込まれてしまいます。

現代の映画にはほとんど見られないような、はっきりとした表現がリアルで興味深く感じられました。

かつて、日本には士農工商の身分的な隔たりがあったその名残のような物が非常にリアルに描かれており、容姿や服装、行動などはっきりと違いが見て取れるのです。

どんなに大河を見てもはっきりしない違いが鮮明です。

2人の男性キャラクターの描き方が最高

主人公とその義弟は貧しい農民ですが、焼き窯を構えて焼き物を造り、戦国時代の戦景気で賑わう街で売れ行き上々一儲けし、義弟は立身出世・侍を目指して出奔します。

商売繁盛の好景気にウキウキ気分のさなかに亡霊に取りつかれてしまい、命からがら無一文になって自宅に戻ります。

その間に殺害されていた死んだ女房の亡霊に癒され日常を取り戻す、本来真面目な気質の主人公。

立身出世を夢見て要領よく立ち回り、手柄を手に入れて調子に乗る義弟のコミカルさ。

焼き物(窯工)という、日本でも特殊な民俗学的な題材をディテールとして取り上げている点も興味深く感じられました。

ひしひしと感じられる格差

また、戦国時代において、戦に出願しても具足を所持していないと歩兵でも鼻も引っかけられず追い返されるというリアルな格差感。

そして主人公が町の路上に広げた店で出会ったまぶゆいばかりの天女と見まがう高貴な感じの女性は、奥女中でしかないという驚き。

このような対比が正確な時代考証だけではなく、印象においても正確さが感じられてとてもためになると感じました。

エマ

何と言うべきか、現代は不平等・不公平は沢山ありますが、割と自由で平等な時代なのだろうなということを感じさせられます。

何事も金や物次第、商売繁盛のありがたさは現代にも通じる利便性ですが、商売や立身出世、色恋に惑わされると、一番大切な本当の幸せを見失ってしまうという教訓も伝わってきます。

見終わった後に長く残る感慨深い余韻は、名画と言われる作品ならでは

この映画が戦後の日本で製作されたものであり、総崩れな破壊や失望の後に訪れた希望や活力を、意図せずとも感じさせられる点が今となっては感慨深いのです。

第二次世界大戦で敗戦、それも原子爆弾を2発も落とされ致命的に敗戦国となった日本は、外国でかなり肩身が狭く風当たりも強かったそうです。

そのような時代において、(かつて同盟国であったとはいえ)ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子受賞作品となったことはよほど評価が高かったのだろうと思われます。

個人的には、「雨月物語」は、邦画の名作の中でも娯楽性と芸術を兼ね備えたわかりやすい作品だと思っています。

モノクロのため非常にとっつきにくいのですが、一見の価値があると断言できるため、昔の映画でお勧めはあるかと聞かれれば、この作品を真っ先に挙げると思います。

似たような面白さや感想を持つ映画では、よりスケールが大きくてダイナミック、ちょっと哀しくてつらい、黒澤映画の「影武者」があげられます。

この二つを同時期に観たのですが十数年たった今でも忘れがたい感銘があり、歴史映画を判断する基準となっています。

雨月物語

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