「恋人たちの予感(When Harry met Sally)」は1989年にアメリカで公開された作品で、メグ・ライアンとビリー・クリスタルが大学卒業時の出会いから、あしかけ11年にわたる微妙な間柄を演じる青春映画です。
微妙なというのも、二人の間にあるのは友情でもなく、愛情でもない。
むしろ11年間の前半は、女性特有の潔癖さからメグが演じるサリーは嫌悪感すら抱いていたといってもよく、そんな二人のつかずはなれずの11年間が、まったりと描かれています。
あらすじを述べる前に、この映画が一躍有名になったのは、メグの名演技から。
メグ演じるサリーが、NYのあるデリカテッセンで、友達の彼氏であるビリー扮するハリーとパストラミサンドイッチを食べながら、議論をすることになります。
テーマは「男と女の間に友情は成り立つのか」だったのですが、ハリーは「男は女性を見るとき、かならずこの女と寝たい、セックスしたいと思いながら見るから、純粋な友情はありえない」と語り、「自分のまわりにはわたしと純粋な友情で結ばれた男性の友人がいくらでもいる」と話すサリーと対立してしまいます。
挙句の果てに、サリーは「男はそんなにセックスがいいとかうまいとか気にするが、しばしば女は男を立てて、感じるふりをしてあげているんだ。演技なのに男は簡単にだまされる」とキレる始末。
その証拠に、とサリーはとつぜんパストラミを食べながら、「絶頂にいったふり」の演技を始めます。
デリカテッセン中の人がその喘ぎ声に驚き、ハリーもその視線に慌ててしまいます。
そして、一通り「演技」を済ませたサリーは、何食わぬ顔をして、ふたたびパストラミサンドイッチにぱくつくのでした。
このシーンはその大胆な設定にも驚くし、突然「感じ始める」女性を前に、みんなの視線が突き刺さるハリーの立場も想像すると、笑えてくるわけですが、このデリカテッセンが実在のお店と知って、実際にNY旅行の際にわざわざ訪ねていきました。
カッツデリカテッセン
マンハッタン島のイーストビレッジにある「カッツデリカテッセン」がそのお店。
マンハッタンの高層ビルの合間の角地に、ちょこんと1階建てで立っている典型的なデリの店は創業1888年とのことでした。
そのパストラミサンドの分厚いことったら!
何枚も何枚も分厚いパストラミが重ねてあり、大口でも食べきれないほどのボリュームです。
アメリカは余った分はtogo(持ち帰り)できるので、半分はホテルの部屋で食べるほどでした。
でも、ロケ地に実際に行ってみるとメグの座った席もわかるようにしてあって、この映画の世界観に浸れたので行ってよかったです。
「恋人たちの予感」あらすじ
実際のあらすじですが、シカゴ大学を卒業したサリーとハリーは必ず成功してやる、という野心を抱えて、家財道具を載せてNYまで向かうひとときのドライブパートナーでした。
アメリカではよくあるのですが、長距離移動の時、運転を交代したり、ガソリン代をシェアできるので見知らぬ人同士が一緒に移動します。
サリーを口説くハリー
サリーの友達の彼氏だったハリーですが、彼はすぐ他のパートナーを見つけようと口説いてくる始末。
その過程で上記のパストラミサンドのシーンも出てきます。
「サイテー」とばかりに、二度と会うもんか、とサリーはNYで別れたときに連絡先すら交換しませんでした。
「男女の友情がないというなら、あなたなんかと寝るつもりもないし、友人にも慣れないわね」と。
さすがにほかに知る人もいないNYで、その別れ方はハリーにはつらかったようですが。
自分もロンドンに留学経験がありますが、現地の知り合いに「こちらにくるからって、頼ってこないでよ」と言われてショックを受けた経験が…。
その後、PCが壊れてレポートが出来なかったことを後でその彼と話した時に、コンピュータエンジニアの彼は「いえば直してあげたのに」と言うのですが、「頼ってくるなと言ったじゃないか」と話してけんかになったことが。
見知らぬ土地で、せめて知り合いがいる、そんな安心感があるのとないのではえらい違いますしね。
相手は軽い気持ちで何でもかんでも頼るな、くらいだったんでしょうが、冷たくされたほうはショックを受けるのは、この映画を見てもわかります。
5年後…
その5年後、お互いにビジネスでもまずます成功をおさめた二人はバッタリ再会します。
ハリーはサリーだと気づき、声をかけるのですが、彼氏といっしょのサリーはそっけない態度をとります。
ハリーも恋人を紹介し、結婚するのだと話します。
きちんとしたパートナーがいるから、以前の自分とは違う、だから友達になれるのではとサリーに話すのですが、以前のハリーの残像が消えないサリーだけにまたもや二人の間はそのままで月日が流れます。
更に5年が過ぎ…
人生のいたずらで再び二人はその5年後に出会うことになります。
今度は二人とも、恋を失っていました。
しかし、一度でもひとを心底愛し、喜びも悲しみも寄り添った日々を知っている二人は、なかなか立ち直ることが出来ません。
一人では立っていられないほど傷ついた二人は、お互いになぐさめあうことで少しずつ、立ち直っていきました。
二人の仲はその後新たな展開に…というのがあらすじになります。
何でも話せる異性の友人っていいな
めくるめくような展開が待ってるわけでもなく、胸を焦がすような心の動きがあるわけでもない。
ただ、淡々と日々を描いている映画なのですが、そこは演技派のメグ・ライアンとビリー・クリスタルが演じると、ほんの少しの心のひだのようなものを丁寧に見せてくれ、思わず「わかるわかる」と共感してしまうのです。
前半でとりあげたシーンの命題、「男女の間の友情はありえるか」の答えが、最後には出てくるのですが、これはわたしもよく学生時代に友人たちと話し合ったテーマでした。
若い時分だからでしょうか、男性の中にはむき出しの欲望を正直に話してくれる人もいました。
また、「女性の友人にも尊敬しているひとはいる。そんな、エッチな目では見ていないよ」と笑う男性もいました。
いまだに、本当の男性の気持ちはわかりませんが、男女の間ではこの問いは永遠のテーマなのかもしれませんね。
二人のように、何でも話し合える異性の友人がいる人生っていいものだな、とこの映画を見て思いました。
人間関係に悩んだり、日々の暮らしがなんかつまらないな、とか感じたときに見ると元気がもらえる映画です。
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