数々の名作を生みだしている、ジブリ。
幅広い年代に親しまれ、1度は観たことがある方も多いのでは??
今回はジブリ映画の都市伝説の真相を考察していきたいと思います!!
サツキとメイは亡くなっている…?
不朽の名作である、『となりのトトロ』から、ネット上で多く見られる、サツキとメイが実は亡くなっているという都市伝説。
ささやかれる理由としては、
- サツキとメイの影がない。
- 川に落ちているサンダルはメイのもの…?
- 最後入院中のお母さんにトウモロコシを届けに行ったのに、直接渡さず窓辺にそっと置いてある。
- サツキとメイが入院先の病院の木に居るにも関わらず、お母さんが窓の外を見て、「いま、サツキとメイが笑っていたよな気がしたの」と話している。(お母さんには見えてない)
1つずつ考察してみます!
まずは【1.サツキとメイの影がない。】
作中で、サツキとメイの影が薄く、消えている…?
そのため、2人が亡くなってるとささやかれたようです。
しかし、背景をよく見てみると、時間設定にヒントがありそう!
影がないシーンはお昼の描写ですね。
夕方、日が落ちかける時間帯の描写にはしっかりと影があります。
影の有無や長さで、時の流れを詳細に描いていると言えそうですね。
続いて【2.川に落ちているサンダルはメイのもの…?】
こちらもネットでよく言われている都市伝説。
しかし、作品をよく見てみると、池にあったサンダルを見つけたおばあちゃんに対して、サツキは「メイのじゃない」とはっきり答えてますよね。
また、川に落ちていたサンダルと、メイが実際に履いていたモノはデザインも異なるので、これもデマであると考えられます。
次に【.最後入院中のお母さんにトウモロコシを届けに行ったのに、直接渡さず窓辺にそっと置いてある】
こちらもよく見る都市伝説ですね。
確かにメイがトウモロコシをお母さんにに届けるため、一生懸命病院に向かったのに、直接会わずにトウモロコシだけ置いていくのは不自然な感じもしますね…。
そのため、ネット上ではサツキとメイは亡くなってるので、母親に直接渡せなかったとの説が。
さすがにこれはわたしも、不自然な描写だな…と感じました。
あんなに幼い子どもたちが大好きなお母さんに会わずに帰ることが出来るものなのか?
【4.サツキとメイが入院先の病院の木に居るにも関わらず、お母さんが窓の外を見て、「今、サツキとメイが笑っていたような気がしたの」と話している】
3にもつながりますが、目の前の木の上にいるのに、お母さんには娘2人の姿が見えてない…。
この描写は決定的なものと思いました…が、別の角度から見てみると、サツキとメイは、お父さんと朗らかに話すお母さんをみて、ほっとしたとも考えられます。
そもそも、メイがお母さんにトウモロコシを届けに行くきっかけは、母の病状があまり良くなく、一時退院ができなくなった旨を伝える電報が届けられたから。
おばあちゃんの畑で収穫したトウモロコシを、母に届けて早く元気になってもらいたいという思いで、メイは病院を目指したのでした。
しかし、病室のお母さんの様子から、もうすぐに元気なお母さんに会えるようになると、サツキとメイは安心したのでは??
届けたかったトウモロコシはそっと窓辺に置き、退院した母に会える日まで、楽しみはとっておいたのでしょう。
メイは、一時退院ができなくなった電報を聞いたとき、「いやだ!!」と駄々をこねる子どもでしたが、母にトウモロコシを届けに行くんだ!と、決意したところから、精神的にとっても成長したのかなぁ。
”はじめてのおつかい”という番組でも、たった1回のおつかいで子どもたちはとっても成長しますよね♬
まさに、あんな感じ。
また、お母さんの「いま、サツキとメイが笑っていたよな気がしたの」というセリフ。
「笑っていた」と過去形になので、2人はすでに猫バスに乗ったあとなのでしょう。
現に、エンディングでは笑顔のサツキとメイが猫バスに乗っているシーンもありますよね。
さらに、エンドロールではお母さんと一緒にお風呂に入っているシーンも。
これは作品のその後を描いている描写だと思います。
作中では季節は夏の設定。
そしてエンドロール内では落ち葉の描写があり、季節が1つすすんでいますね。
そのため、無事に元気になったお母さんと、その後楽しく家族で暮らしている様子が伝わります!
まとめ
以上の結果から、「サツキとメイが死んでいた」という都市伝説はデマであると考えました。
子どものころ夢中だった、『となりのトトロ』。
大人になってから違う視点で見てみるのも楽しいよね!
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